感謝の言葉

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解剖実習を終えた学生より、ご献体へ感謝の言葉が寄せられています。

令和4年度実習生 Aさん

約3ヶ月間のマクロ実習は、これまで経験したことのないほどの労力や時間を必要とするものであったと同時に、本当にたくさんのことを学び、考えた実習でした。人体の解剖など、もちろん今まで経験したことはないため、初回の実習では大きな緊張と意欲をもって臨んだことを覚えています。初めて実習室に入ったときの雰囲気、初めてご献体と対面したときの感情、初めてメスを使ったときの感触、すべてはっきりと記憶しています。そうして解剖実習を進めていく中で、3ヶ月間の実習は精神的にも肉体的にも非常に厳しいものであると実感しました。初めは教科書のように血管や神経、筋肉などが見えるものだと考えていましたが、そのような安易なものではないとすぐに気づかされました。皮膚を取り去っても見えるのは脂肪や結合組織で、学習対象の筋肉や神経は一向に見つからず、気づけば黙とうの時間になり、黙とうの時間を過ぎても解剖を続けて何とか学習目標を達成するという毎日でした。しかし、難しいことだからこそ、綺麗に神経や血管が見つかったときは感動し、教科書を見ているだけではいつまでたっても覚えられなかった人体の構造が、解剖を進めていく中ではっきりとイメージできるようになっていきました。また口頭試問の度に、神経や血管、筋肉を剖出し、暗記するという学習を何度も繰り返し、理解を深めながら解剖を進めることで、座学だけでは絶対に得られなかった知識が身についていくのを感じました。実習が中盤に差し掛かるころには、解剖器具を扱うことができるようになり、初めのころよりも迅速かつ丁寧に解剖が進められるようになっていました。心臓や肺、腸などのはっきりとわかる臓器を目にするようになり、人間の体の精密さ、複雑さに驚きや感動を覚えました。すべての実習を終え、最初の皮切りから最後の脳実習に至るまで、本当に多くのことをご献体から学ばせていただきました。初回の実習で聞いた、「皆さんにとっての先生は目の前のご献体です。」という言葉は、本当にその通りでした。実習終了後の納棺、そして献花の際には、二度とない貴重な実習を経験させてくださったご献体とご遺族の方々へ感謝の気持ちでいっぱいになりました。厳粛な学びの3ヶ月間でしたが、それ以上に大切な知識や経験を得ることができたと思います。医学部に入ってもほとんどは座学や実験のような実習のみで、自分は本当にこのまま医師になるのだろうか、というぼんやりとした状態でここまできてしまいましたが、解剖実習を終え、初めてはっきりと自分は医学生なのだ、医師になるのだ、という自覚を高めることができました。私は、医学生の学びのために、自らの体を無償で提供してくださったご献体、そしてそのご遺族の方々のご厚意に報いられるような医師になりたいと思います。

令和4年度実習生 Bさん

 はじめに、ご献体してくださったご本人様とそのご遺族の皆様に心より感謝を申し上げます。また、解剖実習が無事に修了できるよう支えてくださったみおつくし会の皆様や大学の先生や先輩など、沢山の方々の協力をいただいて、私の解剖実習は大変貴重な学びの機会となりました。ありがとうございました。
 私は大学1年生と大学2年生の前期をとても不真面目な学生として過ごしました。解剖実習がはじまるまでの大学の勉強は授業内容が難しいために、単なる過去問題の暗記に成り下がり、学生が勉強しているかの尺度は如何に過去問題を覚えて試験に臨むかに見えました。そんな環境にうんざりした私はたいして勉強もせず再試験の常連となり、医学へのモチベーションも持っていなかったのを今も覚えています。
 しかし、解剖実習が私を変えました。解剖実習は目の前にある情報から、まだ見ぬ剖出すべきものがどこにあるのか仮説を立て、実際に探す過程の繰り返しを行います。また、分からないところは本や教材を参考に班員と教え合い、それでも分からないところは先生に質問しに行きます。このようにして得た知識は、机に向かって頭を抱えながら覚えた知識とは比べようがない確かな知識となりました。また、新しい内容を学ぶ時にはこの確かな知識に枝葉を生やしていくように考えることができます。私はこのような解剖実習を通した学びに感銘をうけました。人体の構造の仕組みから臨床にも繋がる部分まで、学年の誰よりも解剖学教室に居座り、解剖学教室が閉じたあとは大学の自習室で必死に勉強しました。ふと気が付くと私は、難解だった大学の授業を興味深く感じ、勉強する意義を見出していました。また、友人に解剖しながら知識を教える立場にもなりました。解剖実習が私に勉強の重要性を教えてくれたのです。
 医学の勉強が一筋縄で行かないことを理解しているつもりです。これからも難解な内容に頭を抱えて幾つもの再試験にかかるかもしれませんし、医師になってからも理解出来ず苦しむことはあると思います。しかし、今の私は医学の勉強の大切さも医学を勉強する意味も分かっているつもりです。解剖実習での経験を私の人生の糧とし、これからも前途多難な医学の勉強と向き合って行きたいです。
 最後になりますが、解剖実習のためにご献体してくださったご本人様、ご遺族の皆様、そして私たちの学びのためにご尽力くださった大学の先生や先輩方に心より感謝申し上げます。とても素晴らしい経験でした。

令和4年度実習生 Cさん

 約3ヶ月にわたる解剖実習を終えて、ご献体いただいた方とそのご遺族の方への感謝の気持ちでいっぱいです。非常に強い緊張感で解剖実習が始まった日、当日に配られた資料を隅々まで読みました。そこにあった、会員の方の「成願できた日のために、手術の痕も残さないように、食事にも気をつけて毎日を過ごしています」という強い意志を感じる文章がとても印象に残っています。そして、実際にも自身で解剖を進めるなかで、これからの医学の発展のためにというご献体された方々の強い意志を感じ、強い意志を持ってご献体された方と、その意志を理解して支えてくださったご遺族の方の思いに応えられるように、しっかりと知識を身につけて胸を張れるような医師にならなければならないと感じました。
 気がつけば、あっというまに終わってしまった解剖実習ですが、全ての回に共通して感じたのは、イラストや図、写真では学ぶことのできないことまで詳しく学ぶことができたということです。実際に解剖してみないと分かりにくかった筋肉の重なりや血管・神経の走行を、立体的に実際に観察したことで、人体構造の理解の助けになりました。
 また、実際に観察させていただいたことで、人体の構造の複雑さとその無駄のなさを同時に感じました。全てのものが、発生過程や機能の点からその場所にあるべくして存在しており、それら全てがあわさってひとつの生命を成り立たせているということに、終始驚いていました。そして、それらを詳しく観察していくほど、生命の尊さや重みというものを感じました。また、それだけ複雑ながらも、一人一人血管の分岐の仕方などが異なっており、教科書が全てではないということも感じました。このことは医師になったときにも忘れてはいけないと思います。教科書だけの知識だけでなく、一人一人の違いをしっかり確認して判断していくことがとても大切だと思いました。
 はじめて解剖実習室に入った時、実習開始式で先生方の話を聞いている時、はじめてご献体にメスを入れた時、実習の最初と最後に毎回必ず行う黙祷の時、納棺の時、これらひとつひとつの瞬間の緊張感を忘れることなく、ご献体してくださった方に胸を張れるよう、感謝の気持ちを忘れず責任感を持って勉学に励み続けようと思います。
 最後に、ご献体くださった方とそのご遺族の方々、実習を支えてくださった先生をはじめ、ご協力いただいた全ての方に、改めて感謝申し上げます。

令和4年度実習生 Dさん

 3ヶ月弱にわたる肉眼解剖学(マクロ)実習を振り返ってみると、非常に貴重な経験をさせていただいたということを改めて強く感じます。実習以前に座学で学習していたものを実際に三次元で観察してみると、人体の構造について自分が全く理解できていなかったことに気づかされるとともに、肉眼解剖学実習を行うことの意義が大変よく理解できました。この解剖実習を通して人体の構造や機能をはじめとする様々な知識を得ることができ、自分が確実に成長できたことを強く実感しています。ご献体くださった方々やご家族の方々、丁寧に指導してくださった先生方など、このような貴重な機会の実現にご尽力いただいた全ての方々に大変感謝しております。
 実習初日、実習室内に漂う学生たちの緊張感を今でもはっきりと記憶しています。自分自身も不安と緊張を抱えていましたが、解剖実習が始まってしばらく経つとその難解さや学び取れることの多さに気づかされ、いつの間にか学ぶことに集中できていました。
 実習初日の先生方の「ご献体くださった方々は我々を指導してくださる先生である」というお話は今でも心に刻まれており、全くその通りだと感じています。人体の構造には多くのバリエーションがあり、教科書通りにはいかないのがこの解剖実習でした。「筋肉や臓器の大きさや走行は?神経や動脈、静脈の実際の長さや太さは?見た目や質感は?表層に対してどれくらいの深さを走行しているのか?」など、教科書では文字やイラストを通して点と点でしか学ぶことのできない部分を、全体像を掴みながら「実際にはこのようになっているのか」と、まさに身をもって感じながら学習することができました。この解剖実習を通して感じた多くの知識をみるみるうちに吸収していく感覚は、これまでもこれからも滅多に経験できない貴重なものだと感じました。そのような意味でも、ご献体くださった方々はそのお一人お一人が本当に我々の先生でした。さらに、臨床の先生方の手術の手技を拝見させていただく機会などもありましたが、臨床のための解剖学など様々な角度から考えることもできるため、二度目の経験となる三年生の先輩方や指導してくださる先生方にとっても、解剖実習は多くの学びがある機会だと理解しています。
 我々を信じてご献体くださった方々やそのご家族の皆様には改めて心よりの感謝を申し上げるとともに、その尊いご意志を心に刻み続け、皆様の期待を裏切らずにこれからも真摯に学び続け、社会に貢献することを誓いたいと思います。

令和4年度実習生 Eさん

 初めに、ご献体くださった方々とそのご遺族の方々に感謝の意を述べさせていただきます。昨年医学部に入学しこれから始まる 6 年間の流れを聞いた時、2 年生は解剖実習があり、厳しいと知り来年は覚悟しておかなければいけないと構えていました。お亡くなりになられた人を直接見るのは私にとってはこの実習が初めてで、始まる前はご献体とどんな気持ちで対面すればよいのだろうと不安に思っていたこともありました。8 月 25 日、ついに解剖実習の部屋に初めて足を踏み入れた時、目の前にお亡くなりになられた方がいらっしゃるということに何とも言い難い気持ちになったことをはっきりと覚えています。そしてご献体となってくださった方の思いや覚悟を無駄にすることのないように、精一杯学ばせていただかなければいけないと強く感じました。また実習開始前と開始後に毎回する黙祷では初日の記憶と気持ちを忘れないでいようと心に決めました。
 いざ実習を行ってみると驚きの連続で、教科書や本からだけでは学ぶことの出来ないようなことばかりでした。資料に書いてある文字だけで暗記することはかなり難しそうなことも、実際に自分たちでメスとピンセットを用い剖出することであっという間に記憶に残り、実習を経験しなければ将来医師として対応をすることは不可能だと毎回のように思っていました。最初は次々と現れる皮膚、筋肉、血管、神経などに戸惑い、何が何か分からず見分けることが難しかったですが、毎日のように班員と協力して実習を進めるうちに先生方に質問しなくても理解できるようになり成長を感じました。それと同時に、実習中にスムーズに理解し剖出するには事前に予習をしっかりしておかなければいけないと実感しました。しかし、日々の授業や山のようにやって来るテストの勉強に追われ思うように予習できない日も多々あり、とてももったいないことをしたと後悔しています。それでも、先生や班員を頼って、可能な限り吸収しようと必死に手を動かし続けたことで多くのことを勉強できたと思います。
 最後になりましたが、8月から11月まで3ヶ月間毎日のように私たちの解剖実習のために長い時間割いてくださり、どんな質問にも詳しく丁寧に答えてくださった先生方や一生懸命協力して作業を進めてくれた班員たち、そして私たちにかけがえのない経験をさせてくださったご献体の方には心より感謝しています。この経験を最大限活かせるよう、これからも精進していきたいと思います。本当にありがとうございました。